正徳2年4月1日。法花寺町にある俗に御堂という照遠寺の住持日広玄義は能化(長老・指導者)になろうとして上京したが、日々の不法が耳に入り、飛脚でこの日連れ戻しに行かせた。戻ると寺社奉行は大光寺から日広に隠居を願わせようとしたが、日広は従わなかった。かえって山澄風残に頼み、小笠原豫入から不法と言われたことは正しいことだと訴えた。このため奉行は怒って同宗の数人を呼び寄せ、日広の不法を責めてこう言った。このような大罪を暴けば宗門の恥になると思い、ことを穏便におさめようとしているにもかかわらず、かえっていろいろと策略を計るのはいかがと云々。宗徒は皆頭を垂れ、すぐに隠居させると退出してすぐに隠居させた。日…