元禄6年8月2日。近頃、にせ柿羽織を着たひとりを捕らえる。久屋の小間物売りで名は作兵衛。柿羽織を着て出かけ、御法度の帯をした者から帯を取り上げる。よほど儲かったと。
元禄6年8月2日。夕暮れ、相原久兵衛がやって来て、親の願いは三左衛門に伝え、目の病気なら大事な御役を務めるは難しかろうと。しかしながら武兵も老人であるが、新役ばかりではおぼつかないので若林元右衛門を付けるのでしばらく務めるようにと。文左衛門は親の手引のようで機嫌がよくなかった。武兵はいまだに役目を務めることは願わず。近々誘いがあるはずと。
元禄6年8月2日。寺社の門前ならびに地子の本屋・借家併せて2050軒ほどは今後は寺社奉行の支配となることが仰せ付けられる。これは町奉行からの願いによるもの。7月24日に言い渡される。また町中の寺々の借屋も残らず寺社奉行の支配となる。