昭和16年(1941年)夏、ドイツ軍は電撃作戦でヨーロッパを席捲しており、日本軍は中国内部に侵略、続いてシンガポール、フランス領インドシナ(ベトナム)、オランダ領東インド諸島(インドネシア)を目指し、進駐を開始していました。 昭和16年(1941年)8月1日ルーズベルト大統領は報復措置として対日石油輸出全面禁止を断行し、11月26日、日本軍の全面撤退などを盛り込んだ最後通牒「ハル・ノート」を提示しました。 当時、消費量430万klに対し、石油の備蓄量は683万klで戦争が始まれば1年半で消費してしまう量しかありませんでした。(1) ドイツのように石炭の液化による人造石油製造を行いますが、炭化度…