その隻腕の剣士が活躍したのは、慶応4年(1868年)の5月下旬。西から攻め来る官軍を箱根で迎え撃つため、旧幕府の遊撃隊が出陣しました。遊撃隊を指揮していたのは、人見勝太郎と心形刀流の使い手伊庭八郎。両軍は箱根三枚橋で激闘を繰り広げます。この時、伊庭八郎は腰に銃弾を受け尻餅をついたものの、2、3人を斬り倒しました。しかし、この戦いで彼は左手首を斬り落とされる重傷を負います。それでも片腕で戦い続けた伊庭八郎。敵を薙ぎ払った刀が岩をも斬ったと噂され、後に伊庭八郎百人斬り伝説も生まれました。