豊後・大友氏の家臣、「柴田紹安」は野津郷(現臼杵市)を領した「豊後国橘姓柴田氏」の棟梁で豊薩戦時(1586~1587年)には大友氏の出城である「宇目郷・朝日岳城」の城主を務めた。ここで島津に寝返ったことが結局は野津郷・柴田一族断絶の要因となった。大友宗麟の重臣で「豊後のヘラクレス」といわれた「勇将・柴田礼能」はその弟である。紹安は寝返ったものの島津に疑われ、結局、「天面山城」に攻め殺される。その家族は、「居城・星河城」に島津の人質として留め置かれていたが、「佐伯惟定」の手勢がこれを落とし、佐伯領内の「西定寺」(その所在は不明)で一家全員が殺害されたと伝わる。弟の礼能父子も丹生島城(臼杵城)戦で…