尾崎 秀実(おざき ほつみ)。1901年生まれの、この男は、知性の点では申し分無かった。なにしろ、「評論活動をしていた当時は、『最も進歩的な愛国者』『支那問題の権威』『優れた政治評論家』などと評価され、評論家としての権威・評判は共産主義が抑圧されていた言論状況のもとでも高いものであった」(Wikipedia)というのだ。生きていたら、「反知性主義」批判の先鋒をしているかも。 この男は、「朝日新聞記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務め、近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(シナ事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層…