私の実感を込めて言えば、今、現実に起きているのは、官僚制を基礎とした縦割りによって責任の所在や対応の主体が曖昧になっていることだけではありません。程度差こそあれ、すべてのアクターが、公教育を自分の問題として引き受け、支え合うことがない。それゆえ、落ちこぼれにせよ、吹きこぼれにせよ、いじめにせよ、不登校にせよ、特別な教育ニーズにせよ、学級の荒れにせよ、あるいは不適切な指導にせよ、過酷な労働にせよ、さらには育児までも、これらの課題に直面した人だけが、当事者として孤立します。(山口裕也『教育は変えられる』講談社現代新書、2021) おはようございます。山口裕也さんには「わくわく」させていただいたこと…