前章では越による呉の滅亡(紀元前473年)により、日本列島に避難民が漂泊したという仮説を紹介した。今回は、その越の滅亡による避難民の漂泊について述べる。 (越の滅亡) 呉の滅亡から140年後の紀元前334年に、今度は越が楚によって滅ぼされた。王族・貴族の一部は海路南下し、現在の福建省の地に現地の百越(ひゃくえつ)族と共同して閩越(びんえつ)を建てた。一方、取り残された一般庶民達(かつての呉の民を含む、越の人々、以降「越の民」と記す)は、陸地を海沿いに北上するか、かつての呉の王族・貴族のように海へと出航したと考えられる。 彼らはどのようなルートで日本のどこに漂泊したのであろうか。中田力氏は『古代…