ご維新の激動期にヲシテ文献の散逸を憂慮し、貴重な写本を残した高島の旧士族、野々村立蔵(水尾神社祠官)は、容聡本を西万木の日吉神社に奉納するにあたり『秀眞政傳紀 傳來由緒書』を記し、この文献の伝来の経緯を後世に伝えました。その文中に、伝教大師最澄とヲシテ文献との関わりに触れるくだりがあります。 「天皇御文庫爾有者、中古桓武天皇、僧伝教大師爾託之賜布、是比叡山爾秀真政伝紀石室爾納留者也」。すなわち、八世紀末の当時、宮中に秘蔵されていた『ほつまつたゑ』は、桓武天皇から伝教大師最澄に(何らかの理由により)下賜され、大師はこれを磐屋に納めて秘匿奉祀した、と伝えているのです。 漢訳を手がけた和仁估容聡の井…