「黒船来(きた)る」。 その一報が、箱館を恐慌の坩堝に変えてしまった。 安政元年のことである。 この年の春、三月三日。神奈川の地で日米和親条約が締結された。 (Wikipediaより、日米和親条約調印地) 全十二条に及ぶ内容のうち、第二条目にさっそく開港地の設定がある。下田は即日、そして箱館は一年後、米国に対し港を開く、と。以後、星条旗を掲げる船はこの二港にて、薪水・石炭・食糧その他必要物資の供給を受けることが可能になると。 調印式が終わるなり、マシュー・ペリーはこういうことを言い出した。「条約の円滑な履行を期すべく、下田と箱館、この両港を実地調査せねばならない」。 なるほど筋は通っている。 …