その日、北緯五十度線は忘れ難い客を迎えた。 北緯五十度線――南樺太と北樺太を分かつ線、すなわち大日本帝国とソヴィエトロシアの境界である。そこへ日本内地から、林学者がやってきた。樹相の若い適当な木を指差して、 「あれはどっちです、日本ですか」 と、案内役の巡査相手に訊いたりしている。 「いいえ、ありゃあロシア側です」 逡巡するふうもなく、巡査は答えた。 「あれの一尺ばかり手前に黄色い花が咲いていましょう」「どれどれ、どこです、ああ、見つけた、あれですか」「あいつがちょうど五十度線上に咲いている、いい目印ってわけでして」「ははあ、なるほど、うまいこと。――」 林学者の名は市河三禄。 大学で英文科に…