池谷駅周辺の古墳を訪ねた後は、吉野川河口を超えた南側の渋野丸山古墳を目指しましたが、その南東の「弁慶の岩屋」にも足を伸ばしました。 古墳の名前もそうですが、周囲には源義経に関連する碑が複数あります。源義経が一の谷の戦い後に屋島に向かうのにここに上陸したと伝えられるそうです。 直線距離でも60㎞ほど、奇襲のためにかなり遠回りしたのですね。 丘陵の北東麓からアプローチしました。 岩屋への標識と、大きな石の標柱があります。 弁慶の岩屋 丘陵の中腹(ここより約50m)につくられた古墳で、自然の巨石を使用した横穴式石室である。須恵器や管玉が出土し6世紀後半の構築である。飽和29年徳島県史跡指定 手摺りの…