後陽成院。安土桃山時代後期〜江戸時代草創期の天皇。諱は周仁(かたひと)。
祖父・正親町天皇と異なり践祚後すぐに即位式を行えた。
応仁の乱以降の朝廷は貧窮の極みで即位式もまともに挙げられない惨状であったが、天下統一が近づいたこの頃になると天皇を利用しようとする豊臣秀吉らの援助を受け財政が安定してきたのである。
在位期間が安土桃山時代と江戸時代を跨いでいるために皇位継承者の選択にさんざん悩まされている。
結局後水尾天皇を立てるも父子関係が上手くいかず、崩御すると近代まで悪帝として有名だった陽成天皇の可後号を諡されてしまう。