鎌倉時代前期の上皇。名は守貞(もりさだ)。後鳥羽天皇の兄に当たる。 天皇として即位したことはない。承久の乱の結果として天皇家の旧勢力が一掃されたことにより、鎌倉幕府の介入で子の後堀河天皇が即位し、幼少の天皇を補佐するため行助入道親王は還俗され後高倉上皇となり治天の君として朝廷を任せられた。しかし、上皇は治天の君の座についた後わずか二年で病死してしまった。