そのころ、高麗人の参れる中に、 かしこき相人ありけるを聞こし召して、 宮の内に召さむことは、 宇多の帝の御誡めあれば、 いみじう忍びて、 この御子を鴻臚館に遣はしたり。 御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて 率てたてまつるに、相人驚きて、 あまたたび傾きあやしぶ。 「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、 そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。 朝廷の重鎮となりて、天の下を輔くる方にて見れば、 またその相違ふべし」 と言ふ。 弁も、いと才かしこき博士にて、 言ひ交はしたることどもなむ、いと興ありける。 文など作り交はして、 今日明日帰り去りなむとするに、 か…