例えば何か稽古事を習うときに、先生の言うことを素直に聞ける人と、自分のこだわりとかプライドがあって言うことが聞けない人がいる。 この違いは、そのまま上達と理解のペースの違いとなる。 例外的に、先生よりも生徒の方が良くそのことについて知っている、と言うこともあるかもしれないが、だったらそもそもその先生につこうと思うのが間違い。 修行においても同じことが言える。 修行は基本的に、体型立てられた聖典に従って行われるが、まずはその教えに対する尊敬と信がなければそれをやろうとは思わない。 しかし教えへの信頼は、最初はほんのちょっとしたものだし、最初はばーっと勢いよく燃え上がっていたとしても、杉の薪のよう…