前回の白鳥塚古墳からは、同じ中位段丘上の志段味大塚古墳へ向かいましたが、間は住宅地になっていて少し大回りをします。 青里掛(あおりがけ)の交差点付近から南側。 上記の右からが古墳公園エリアでした。 大きなサイズの石の”表札” その右の、一見普通の園路ですが 2つの古墳の通っていた、江戸時代からの道でした。 江戸時代から現代まで利用されてきた道路正面の道路跡は、かつて勝手塚古墳の北側から志段味古墳群の東側へと続いていた道路の一部で、天保15年(1844)に描かれた上志段味村絵図に見ることができます。河岸段丘の段差を上り下りする部分にあたり、大塚坂とよばれていました。名古屋市教育委員会 ここにも、…