感覚なら批判されない。共感されるかどうかになる。グッとくるかこないかになる。感覚じたいはそれほどたくさんはなく、あらわしかたが無数にあるだけである。 思想についてまえに書いた気がして振り返ってみたところ、おもいつきを書き散らしていただけだった。感覚についてはあまり触れないようにしているものの、これも一周まわって、そろそろ取り組んでもいい気がしてきた。綴方ブログの裏テーマになるかもわからない。 現実がバツであるならば、フィクションに逃げればいい。ただし、そればかりでは、生きて行かれなくなる。己のフィクションを生きるという行きかたもあるが、それで食えるかはまたべつの問題である。 わたしは現実社会を…