では、こうした引用重視の文化はどこから来ているかといえば、それは『聖書』読解の伝統からだろう。かつて、神学博士たちは、自分の論述のほとんどを『聖書』からの引用で埋め尽くし、相手を論破しようと試みたものである。そして、その伝統はいまも脈々と受け継がれている。欧米人には「言葉はすべて他人(じつは神)の言葉」であり、人間のオリジナリティは言葉の運用の部分にしかないという認識があるからだ。(鹿島茂『悪の引用句辞典』中公新書、2013) かつて毎日新聞に載っていた、鹿島茂さんの「引用からはじまる文章」がたまらなく好きでした。悪の引用句辞典とありますが、本好きの私にとっては神の引用句辞典です。こんな文章を…