永井路子さんの「続悪霊列伝」の中の一遍。 源頼朝の死は謎が多く、どう死んだかについての確実な記録がないのです。 永井さんによれば頼朝の死の原因を推察できる材料は幾つかあるということで、当時の公家の日記や藤原定家の日記、明月記には「飲水の重病」(糖尿病のこと)で死んだと書かれている。 ところが「吾妻鏡」には相模原の橋供養の帰りに落馬した事が原因で死んだと書かれている。でもこれは後から振り返って書かれた部分で、頼朝の死の当時の記録はないのです。 「吾妻鏡」はところどころ抜け落ちていて、頼朝の死の前後の部分が脱落しているのです。 「吾妻鏡」は鎌倉幕府の公式見解といえるものなので、それなのに肝心の頼朝…