好きな人たちの屋号が変わる。 長年彼らを応援してきた人たちの悔しさと寂しさにTwitterの波間で触れるにつけ、なんとも言えない感情を抱えることしかできないでいる。それがどれほど大きいことなのかよく実感もわかなくて、周囲の感情の揺れに戸惑っている。 それはわたしが新規だからかもしれないし、関ジャニ∞を応援する楽しさを共有した経験に乏しいからかもしれない。彼ら自身の寂しそうな声もだ。今はそのことが一番寂しいかもしれない。好きな人たちの感情を推し量ることはできても一緒に悲しめないことが。 でも、彼らが特大の覚悟を持って変えることにした関ジャニ∞という名前をネットに書くのを明日以降わたしは憚るだろう…