ここでは、秀吉の朝鮮出兵をキーワードとして、朱子学や陶磁器技術の発達についてとりあげる。■秀吉の朝鮮出兵教科書では年号や出兵したという事実程度のことしか紹介されていないように思う。実際はどんなことがあったのだろうか。信長の死後、家臣であった羽柴秀吉は、山崎の戦い(1582年)で明智光秀を、賤ケ岳の戦い(1583年)で柴田勝家をで破って後継者となる。その後、関白(1585年)、太政大臣(1586年)となって「豊臣」姓を賜る。1590年には小田原の北条氏を破り、関東や東北を平定して天下統一を果たす。そして秀吉は朝鮮に2度の出兵を行う。一度目は1592年の文禄の役、二度目は1597年の慶長の役。文禄…