十返肇は、もともとは下戸だったそうで、結婚当初も、飲む習慣はなかったという。 「あなたも文壇付合いが必要なんだから、少しは飲めたほうがいゝんじゃないの」 千鶴子夫人の忠告もあって、遅まきながら酒の修業に踏出したそうだ。ところが、めきめきと腕をあげ、ついには、ある雑誌企画の「文壇酒豪番付」にて、大関にまで昇進してしまった。 十返肇・千鶴子ご夫妻 その修業たるや、なかなかの荒行で、文壇バーだろうがガード下の屋台店だろうが、入れ替り立ち替り出入りする飲み仲間の、誰か一人でも残っているうちは絶対に帰らないというものだったそうだ。 彼の文芸批評は、作品評であっても、つねに人間批評の側面を帯びていた。また…