扶蘇

(一般)
ふそ

始皇帝の長男。?〜紀元前210年

酷薄な性格の父と違い篤情で人望もあり、秦の圧制が強まる中でこの皇太子が国民の期待を一身に集めていたが、始皇帝を諫めたことによって辺境へ遠ざけられた。

死ぬ間際、始皇帝は扶蘇を喪主、すなわち嗣子とする意向を示していたが*1、始皇帝の側近である李斯・趙高と末子の胡亥により詔は偽造された。
自殺せよ、という内容である。
偽物と看破する者はいたものの、扶蘇は
「父が子に死を命じたのだ。いまさら助命を請うことなどできるはずがない」
と言って自決した。

*1:このことを見ると、大して疎まれていたわけでもなさそうである

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