始皇帝の長男。?〜紀元前210年
酷薄な性格の父と違い篤情で人望もあり、秦の圧制が強まる中でこの皇太子が国民の期待を一身に集めていたが、始皇帝を諫めたことによって辺境へ遠ざけられた。
死ぬ間際、始皇帝は扶蘇を喪主、すなわち嗣子とする意向を示していたが*1、始皇帝の側近である李斯・趙高と末子の胡亥により詔は偽造された。 自殺せよ、という内容である。 偽物と看破する者はいたものの、扶蘇は 「父が子に死を命じたのだ。いまさら助命を請うことなどできるはずがない」 と言って自決した。
*1:このことを見ると、大して疎まれていたわけでもなさそうである
香乱記(一)(新潮文庫)【電子書籍】[ 宮城谷昌光 ]価格: 594 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 従弟の田儋(でんたん)、田栄と田横の2人の兄弟を、世間では「田氏の3兄弟」と呼んでいた。斉の湣王を祖とする田氏だが、楽毅に敗れ殺されてしまい、わずかに生き残った田氏の祖父が、北方の狄の地で名を隠して生き延びていた。そして斉が滅び、秦が天下を統一する。 3兄弟が狄へ帰る途中に助けた許負は、始皇帝の暗殺を企んだ張良の配下だった。許負は人相を観て、田氏3兄弟は3人とも王になると予言するが、3人は笑って相手にしない。許負は重ねて田横に、七星を見つければ心願が成就すると予言する。そして許負も自らの予言…