3代将軍「実朝」が暗殺され、 河内源氏直系の血統が途絶えます。 鎌倉幕府(=北条政子)は、第4代将軍に「後鳥羽上皇の皇子」を希望したそうですが、 「後鳥羽上皇」に断られたそうです。最終的に4代将軍に就任したのは、 藤原摂家「藤原道家」の子「頼経」でした。「藤原道家」は、 「保元の乱」で「後白河天皇」に与した一人「藤原忠通」の「ひ孫」です。 また、 「藤原道家」は、 「藤原道長」から数えて、「8代目」にあたります。理由は、「藤原道家」の妻「りん子」が「坊門姫」の孫で、 (「坊門姫」は、「源頼朝」の同母妹です。) 「頼経」に「河内源氏の血」が流れているからでしょうか。しかし、 摂家将軍は、「頼経・…