満9歳8ヵ月で二代目館長に就いた山中正善 大正三年十二月最終の日、前館長が暗雲閉ざして天日晦きに、忽然として神に召されて帰幽せられた。しかし嗣子正善殿が、父君の後を継がれ、山澤氏が管長職務摂行者となられて翌大正四年四月、神殿建築報告祭が、各方面の人々を招待して、盛大に執行せられたのである。 然るに六月二十六日、松村氏が独立の件に関しては嫌疑を受け、奈良監獄の未決監に収容せられたのである。 然るに公判の結果嫌疑ははれて、大正五年八月二十二日、奈良地方裁判所に於いて無罪の判決あり、更に大阪控訴院に於いて又々無罪の判決があったので、同月二十五日一切の元職に復された。 翌大正七年十月、青年会が創立せら…