70〜90年代のプロ野球選手。指導者。
旧名「斉藤明雄」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は17番。*1
1955年2月23日生まれ。京都府京都市伏見区出身。
花園高校から大阪商業大学に進学。佐藤義則(日本大学)、森繁和(駒澤大学)とともに「大学球界三羽烏」と呼ばれる。
1976年、ドラフト1位で大洋ホエールズに入団。
1977年、8勝9敗で新人王獲得。
先発からリリーフまでフル回転で、17年間に渡り601試合に登板。遠藤一彦らと共にホエールズの投手陣を支えた。
1982年、登録名を「明夫」に変更。史上初の30セーブを達成。
1989年7月3日、中日ドラゴンズ戦で100勝100セーブを達成*2。
また短気な一面を持ち、よく乱闘に参加していた。
1989年、選手兼任コーチとなる。
1993年、現役引退。
大洋ホエールズ・横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズを通じて在籍した唯一の選手である。
引退後は、フジテレビの野球解説者を務める。
1996年、横浜ベイスターズの投手コーチに就任。
1998年、コーチとして38年ぶりのセ・リーグ優勝、日本一に大きく貢献した。
2000年からはフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者を務める。
また、マスターズリーグ・東京ドリームスの選手として活躍、背面投げを披露。
2006年、横浜ベイスターズの監督候補に挙がる。
2007年、横浜ベイスターズの一軍投手チーフコーチに就任し、現場復帰。
2009年より再び、フジテレビ・ニッポン放送の野球解説者を務める。
2013年、千葉ロッテマリーンズの一軍投手コーチに就任。登録名を「齊藤明雄」とする。