80〜90年代のプロ野球選手。現・読売ジャイアンツ投手コーチ。
右投右打。ポジションは投手。背番号は41→11番。
1965年2月18日生まれ。埼玉県川口市出身。
市立川口高校から1983年、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。
藤田元司監督のアドバイスにより1年目にサイドスローに転向。*11987年に一軍に定着。
1989年、先発投手として定着。20勝を上げ、最多勝を獲得。
リーグ優勝、日本一にも貢献。同年、日本新記録となる11試合連続完投勝利を記録。
槙原寛己、桑田真澄と共に三本柱として90年代の巨人を支えた。
親友村田真一とのバッテリーは絵になるものであった。
翌1990年、背番号を11に変え、20勝5敗、防御率2.17で2年連続最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。
最多勝5度、沢村賞3度はいずれも日本プロ野球史上1位の記録である。
2001年、現役引退。
2002年、読売ジャイアンツの一軍投手コーチに就任。2003年、退団。
退団後はフジテレビの野球解説者を務める。また、モルツ球団の選手としても活躍。
2006年、読売ジャイアンツの一軍投手コーチに就任し、球団復帰。
*1:優れた野球センスを持っていて、須藤豊2軍守備コーチ(当時)は野手転向を進言していた。