正徳3年7月17日。文左衛門はこの日南の庇と隠居屋の繕いと座敷、東北の庇の板返しを行う。近頃、美濃者の米屋理左衛門召仕女が理左衛門の子を孕んだ。美濃者の夫が江戸からやって来て在所へ連れていこうと勢いよく迫ったので萱葉池へ身を投げて死ぬ。女は孕んだので9月に在所へ行こうとしたが、男が納得しなかったのでこの如く。近頃、方界門へも身を投げて死んだ女があると、17才の女と云々。
元禄10年5月2日。曇。深夜には雨が降る。3日のこと、日蓮宗海津の妙勝寺が名古屋にやって来て酩酊して帰る。泥酔状態で足元もふらつき、方界門の川に落ちる。小僧らは驚くもどうすることもできず、寺へ走って帰り、このことを知らせる。慌てて助けに来た時には腹に水があふれ、息絶えていた。