日露戦争期間中、旅順閉塞の試みは三度にわたって展開された。 明治三十七年二月十八日が第一回目の決行日。民間より、都合五隻の老朽船を買い上げて、指定座標でこれを沈没、その残骸で旅順港を通行不能に――物理的に封鎖してしまう算段である。 その日に先立ち、海軍に珍客が訪れた。 閉塞船の、もともとの乗組員である。 「天津丸」「報国丸」「仁川丸」「武揚丸」「武州丸」――この五隻を、幾久しく動かし続けた男たち。彼らはむろん、軍人ではない。 一室を与え、用向きを問う。代表者が口を開いた。 「船にはそれぞれ、個性とでも申しましょうか、永く乗った者でなければわからない、動かしきれない部分があります」 当たり前のこ…