今へ続く日光千人同心街道を歩くと このブログの目的の一つは、今へ続く街道の様子を備忘録として残すことにありますが、脇往還になると名所・旧跡は少なく、どうしても「こっちの道に入って」とか「この坂道を上って」などの表現ばかりになってしまいます。ひょっとしたら、自分の家の前の道が、昔の街道筋だとは知らない人も多いのではないかと思ったりします。 この街道は、日光脇往還とも呼ばれ、江戸時代を通して、千人同心で構成された日光火の番が往復していた街道ですが、多摩地区と北関東の物資を繋ぐ道であり、大山や富士山詣での道でもあったようです。一里塚があったのかはよく分かりませんでしたが、旅する人々にとっては道標が重…