岩波文庫172ページ「しかあれば、転法にかならず聴法あるべしときこえず。又、「三世諸仏、為火焔説法」といはず、「三世諸仏、為三世諸仏、転大法輪」といはず、「火焔為火焔、転大法輪」といはざる宗旨あるべし。転法輪といひ、転大法輪といふ、その別あるか。転法輪は説法にあらず、説法かならずしも為他あらんや。」 そういうことであるから、法を説くときには必ず法を聞くことがあるとは言っていない。また、過去・現在・未来の永遠の仏といわれる方々は炎のために説法すると言っていないし、過去・現在・未来の永遠の仏といわれる方々は過去・現在・未来の永遠の仏といわれる方々のために大宇宙の真理を説くとも言っていないし、炎は炎…