幕末の日本とロシアとの間に結ばれた通商条約。1858年8月19日(安政5年7月11日)に調印され、1859年8月18日(安政6年7月10日)に批准された。この条約では、領事裁判権に加えて最恵国待遇が双務的となっている。この条約は1895年(明治28年)に締結された日露通商航海条約によって総て無効になった。
新装版 落日の宴 勘定奉行川路聖謨(上) (講談社文庫) 作者:吉村 昭 発売日: 2014/06/13 メディア: 文庫 19世紀半ば、極東は覚醒の時を迎えていた。阿片戦争(1840年-1842年)で清が英国に屈し、開港と通商の開放を内容とする南京条約が締結されたことをきっかけとして、欧米列強の極東進出が激しさを増した。 ロシアは、米国が通商を求めて日本に使節を送るとの情報を得ると、1852年5月、海軍中将プチャーチンを使節として日本に派遣することを決めた。 プチャーチンの派遣に当たりロシア皇帝ニコライ1世は、国境確定の協議を足掛かりとして日本から通商の譲歩を引き出すよう命じ、最大の目的は通…