戊辰戦争関連でもう1つ。 新撰組局長の近藤勇が流山で捕縛されたのはよく知られているが、その際「大久保大和」と名乗っていた隊長が近藤であることを見破ったのは彦根藩士であった。 彦根藩兵の一部は、板橋宿に入ったあと、慶応4年4月3日に北上して宇都宮方面へ隊を進める。他藩の兵も含め約500人の隊であった。その途中、流山に敵勢がいるとの情報を得て向かったところ、相手は恭順の意を示して武器を差し出した。 恭順を申し出た隊長は「大久保大和」と名乗ったが、彦根藩士の小隊長渡辺九郎左衛門が彼は近藤勇であることを見破る。渡辺は京都の会議で近藤を見たことがあり、その顔を知っていたのであった。 近藤は、渡辺の手によ…