安土桃山時代から江戸時代初期の武将。 生年不明。没年不明。 「全登」の読みについては、さまざまな説がある。通称:掃部(かもん) 熱心なキリスタンで、宇喜多秀家の家臣。宇喜多騒動の際には、家を仕切った。 関ヶ原の戦いでは、8000の兵を率いて、東軍の福島正則相手に戦う。 宇喜多家が没落すると、黒田如水のもとに行くが、黒田長政がキリスト教を禁じると、田中忠政を頼る。 大坂の陣で豊臣方として参戦。大阪五人衆の一人として活躍し、戦後行方不明になる。