支那事変は昭和十二年七月七日廬溝橋に端を発しその後益々戦場が拡大した。 戦場の拡大に伴い軍需工場の大拡張が行なわれ産業戦士も大動員された。 名古屋陸軍造兵廠でも青少年工員の大量募集で数千人を集めたが其の収容宿舎の用意が無く困っているとの事であった。 私は山田安太郎氏の勧めにより或一日、日比野寛氏(マラソン王)と共に熱田造兵本廠の庶務課人事係長陸軍工兵大尉(昭和十六年〇月少佐に昇進)横沢松次郎氏を訪ね工員宿舎の提供を申し入れた所、非常に喜ばれ是非頼む尚諸設備を色々整えれば宿料も高くなるので現在の儘で良いから至急その用意をして呉れ、人員は夫れぞれ配置するが工廠の名前は使わない様との事であった。その…