はたして間に合うのだろうか。 蝉の声は、幹や枝葉や周囲の建物などにどう反響するものだろうか、およそあのあたりで啼いていると見当はつくものの、ほれここにと姿を目視することがあんがいむずかしい。 神社の境内では、最盛期を過ぎた今もしきりと啼き交しているが、拙宅老桜にあっては、本日はわずか一匹である。しばらく観察してみるが、啼きやまぬし移動もしない。老樹の幹肌は凹凸が露わで、留まりやすいのだろうか。それとも近隣には好みの樹が他にないと、すでに確かめ済みなのだろうか。いやどう視ても、今朝地上へ上ってきたばかりで、なんとしてもこの場でと一途で必死な若蝉のように見受けられる。 だとすれば、ずいぶん遅れてき…