1 明治になってからの村上俊五郎は、虎尾の会や浪士組で共に活躍した石坂周造のような華々しい活躍とは真逆に、自らを「棄物」と自虐するほど堕落した半生を送った。しかし、そうした俊五郎の頽廃には、それなりの理由があったはずである。また、維新後の俊五郎は、元妻瑞枝の兄勝海舟宅へ度々無心に訪れたとされている。しかし、勝海舟の日記(「海舟日記」)をみると、むしろ勝海舟や徳川宗家が俊五郎の生活を支えていたらしい一面も見受けられる。それはなぜなのか。そうした事実の真相に僅かでも近づくため、本稿の後半では、「海舟日記」(『勝海舟全集』19・20・21)の中の俊五郎に関する記事をほぼすべて転載するなど、非常に煩雑…