24 東京府に出仕して以後の松岡萬に関しても、筆者の怠惰のためもあって、管見にしてごく僅かな資料にしか出会えていない。明治6年に関しては、先の『学海日録』に、東京府職員としての松岡の様子の一端が垣間見えるので次に引用しておくこととする。 3月3日、「会議所に煉火石(煉瓦ヵ)をもって上水の樋を作らんと請ふものあり。仏国人の伝習をうけしものといふ。此議一定然るべしといふもの多ければ、松岡典事本所に来りしときそのことをいひて、その案を示せしに、説よろしかるべし、我まづ知事に申て試みに工を興さばやといひて持ち去りぬ」。3月5日、「松岡典事、謐所に来りていわく、きのふ本所より奉りし煉火石に戯謔のことをし…