来島又兵衛(きじま・またべえ、1817〜1864)
幕末の長州藩士。
無給通士の喜多村家に生まれ,大組の来島家に入る。槍などの武芸の達人で,用所役,所帯役,蔵元両人役などを歴任し,財務にも通じた。1863年藩命により猟師を集めた狙撃隊を率いて尊王攘夷運動のために上京した。8月18日の政変で藩が京都から追放されたのち,再挙のために遊撃隊組織を命じられる。翌年,進発を主張,禁門の変に遊撃隊,力士隊を率いて出撃し,蛤門で薩摩藩兵と戦い,弾丸に当たって死亡した。
御所は蛤御門を入ったところです。のちに、「蛤御門ノ変」と呼ばれるようになったのも、長州の来島又兵衛率いる一隊の攻撃が最もすさまじく、この一帯が主戦場になったからだと言われています 掛かれえっ!!掛かれえっ!! 血しぶきまみれになりながら、敵中で絶え間なく叫び続ける又兵衛。自ら長槍を振るって、会津、一橋兵に突き入れてゆきます。悪鬼の如く暴れまくる又兵衛。背後には「尊皇攘夷」「討薩賊会奸」ののぼりがはためいていますそこへ、西郷率いる「薩賊」が現れました・・・!「薩賊を討て!!皆殺しにせい!!!」 物語では、薩摩の川路利良(のちの警視庁初代大警視)が銃に弾を込め、又兵衛に照星を合わせます。いまだ!ぐ…