村上通康とも。 村上水軍の来島村上家当主、河野通直の女婿、来島通総の父、穂井田元清の正室の父。 天文10年(1541年)大内氏の大三島侵略に総大将として参戦し撃退。 天文年間(1542年頃)河野家家督争いにより譜代家臣に湯築城を攻めらる。(来島騒動) 弘治元年(1555年)厳島合戦は兵船のみ参戦させ出陣せず。 弘治3年(1557年)、毛利氏の防長侵攻時、軍船百艘を派遣し海上警備に協力、後に元就から周防大島西半分を給される。