1 科学の心と野口整体の心 両者の意識の相違を知る ②東洋の身体行が目指した「意識の変容」 近代合理主義哲学は体を機械と考え、人間としての『心』とは理性であるとしました。理性とは、意識のはたらきの「思考」というもので、「感覚や感情」という体に即した意識のはたらき(=感性)は『心』には含まれていません。 理性は身体の影響を受けずに、外界からの入力情報を認識・判断することができると考えられたのです(理性は、身体から切り離された、また、自然から飛び出している機能)。 ここには、儒教や仏教の「身体性」の考え方はなく、科学的な意識「理性」とは、東洋宗教の身体行(修行)を通じた「正心」とは違うものなのです…