新左翼に疲れていた若者たちが、あったのかと思う。 一九七〇年の安保改定に向けて、六〇年代後半は若者たちの政治行動が盛んだった。六八年の春には東大入試が実施されなかった。前年の安田講堂立てこもり闘争の後片づけが済まず、いまだ荒廃治まらぬ情勢だったからだ。 新左翼の各セクトは、路線対立による分裂様相をますます深めていた。日本共産党に対する批判や他セクトに対する批判が先鋭化するなかで、主敵であったはずの国家権力批判については、定型符丁化し紋切型になってゆくかに見えた。言葉のみが過激に積みあがり、行動の面では極端化・跳上り化して、多くの社会人の実感から遠ざかる傾向にあった。 が、その現象を滑稽だの漫画…