ゲームクリエイター、ゲームデザイナー。元スクウェア・エニックス執行役員 第四開発事業部事業部長。
「伝説のオウガバトル」「タクティクスオウガ」などオウガバトルサーガの生みの親。
「タクティクスオウガ」制作後、一部のスタッフと共にクエストからスクウェア(現スクウェア・エニックス)に移籍。そこで「Final Fantasy Tactics」「Vagrant Story」「Final Fantasy Tactics Advance」などを手がける。
「Final Fantasy XII」のプロデューサーを務めていたが、開発中に病気療養のため辞任した。プロデューサーは河津秋敏が引き継ぐこととなり、彼は原案・シナリオプロット・監修担当に変更となった。
「FFXII」開発中の2005年8月末、スクウェア・エニックスを退社した。その後しばらくメディア等に姿を現すことはなかったが、2006年9月から公開されているWiiの開発者インタビュー映像*1にて、Wiiリモコンのインターフェイスについて語っている姿が映っている。この映像における彼の肩書きは「ゲームクリエイター」となっている。
2010年11月に発売された「タクティクスオウガ 運命の輪」では、ゲームデザイン・シナリオを担当。
2011年6月、レベルファイブに入社。「GUILD01」に収録された「CRIMSON SHROUD」(クリムゾンシュラウド)をディレクターとして手掛けた。しかし、この1本を制作しただけで、2012年11月にレベルファイブを退社したことを発表した。