宝永7年6月22日。この日の昼、勘大夫は篠木あたりへ狼打ちに出かける。以後、国奉行は順に出かけ、狼を打たせたけれど小さい狼や鹿などが打つのがやっとであった。国奉行の手はずがよくなかったので、害を与えるようなものは打てなかった。近頃、駿河町の大工のおどりくどき(踊口説)を板行(刷物)にした。この絵に大工道具が刷ってあった。町大工は怒って人を遣わし、刷るのを止めろと言ったが聞き入れなかった。その後、斉谷小一郎の使いと偽り、使いを送った聞き入れなかった。このため近頃数十人が申し合わせ、夜にこの板行屋に押しかけ、戸障子・戸棚などを打ち砕き、狼藉を働いた。近所に国方の足軽がおり、現れたので逃げ去った。首…