中根左太夫という武士がいた。 身分は卑(ひく)い。数十年前、末端部署の書役に任ぜられてからというもの、一度も移動の声がない。来る日も来る日も無味乾燥な記録・清書に明け暮れて、知らぬ間に歳をとってしまった。ふと気が付けば頭にも、だいぶ白いものが混じりつつある。 (なんということだ) まるでモグラか何かように、日の目を見ない己の境遇。このまま立身する見込みもなしに、燭台の蝋が尽きるが如く死んでゆかねばならぬとすれば、はて、いったい自分は何のため、この世にまろびでて来たのであろうか。 (むなしすぎる。……) 無常を感じずにはいられない。 その寂寥が、一首の歌に凝固した。 筆とりて頭かき役二十年男なり…