品野のバロー入り口だ。赤い社が津島社で祇園祭の御神体となる。お祭り前に協賛会の方が津島神社から御札をいただいてくる。下品野村の中心だ。クスノキの左側に常夜灯がある。右手は柴田酒造があった。 今も元の事務所がそのままに残っている。品野全体の経済の大きな存在だった。中馬街道の馬子たちにとって里に下りてきてやっとホッとできる位置にある街場だったはず。 柴田酒造は寛延元年(1748年)といわれ、年間700〜800石ほどの生産量があった。地方の造り酒屋としては大きな規模だった。品野において柴田家は下品野村の庄屋としても実力を発揮していた。3代目から7代目までは代々『要助』の名を継いでいた。明治になり村長…