「欠如」ではないということ 灰になった今、どこへいく レンズ豆のポロウ うましかてを 「欠如」ではないということ たしか中学生の頃のこと。しんどかった部活を辞めて、自由に髪を伸ばせるようになり、友だちといるときに一人だけ大声で顧問や先輩に挨拶しなくてよくなった頃。ストレスフルな部活生活に見切りをつけ、解放感に満ち溢れていた。いわゆる「いつメン」的な友人3人と一緒に過ごす時間を増やせるようになっていた。とてもたのしかった、のだと思う。今思うと、あのときの自分は今とはまったく違う人間のように思えて、それなのにあのときの感情だけは鮮明で、なんだか不思議な感覚がある。 「いつメン」の一人が思春期にあり…