岩波文庫139ページ「非想非々想の骨髄あり、これを抗(こう)して学道するのみなり」 ものを考えない、ものを考えないということはないという仏道の真髄(坐禅の境地)があり、これを使って仏道・仏教をまなんでいくのみである。 非想非々想というのは、仏教学の中では定義があるのだろうし、研究もされているのだろうけど、私は知らない。 坐禅の境地と書いたけど、坐禅している時、色々な想念が湧き起こってくる。これは意識しているのではなく自然と湧き上がってくるのだ。もちろんいわゆる「無念無想」みたいな感じになるときもあるけれど、坐禅は「無念無想」を求めているものではない。道元禅師は、想念が湧いたら追っかけずに放って…