横山の苗字の由来は多摩丘陵だと伝わる。画像出展:Wikipedia 『鎌倉殿の13人』を見ていたら、ちょうど和田義盛の挙兵に関するシーンでした。和田合戦では、西相模の御家人たちが義盛に付くか付かないか、という話をしていたと思います。 実際は大江広元らが将軍の御教書を掲げて幕府側(実際は北条氏側だけどね)に付かせます。 でも、このとき不利な情勢の和田義盛に味方した御家人がいたことも忘れてはいけません。今日は横山時兼について触れていきましょう。 武蔵国の大武士団・横山一族に生まれる 仁平3(1153)年、横山時兼は武蔵国の武家である横山時広の長男として生を受けました。 横山は本貫地とした横山荘に由…